心も体も生き生き元気に 

日々の出来事の中から、心と体が元気になるような記事を書いていきます

桜のつぼみ

毎朝の散歩、桜並木を歩きます

日に日に表情を変えていくつぼみたち

枝や幹と同じような色の、小さな粒だったつぼみ

膨らみ始めると、薄い緑色へと変わって

そして、今日。

ピンクになっていました

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先日の雨もあってか、この二三日の変化は大きいものでした

ラジオからは、名古屋で桜の開花宣言があったとのこと

いよいよ、お花見の季節です

 

昨年は、雨風が強く、一週間ほどで見事に散ってしまった桜

今年の予報では、気温が低いため、ゆっくり開花が進み

長く楽しめるようです

 

同じソメイヨシノでも、場所によって微妙に咲く時期が違いますので

早く咲くところから出かけて行き

近所を見てから、遅めの場所へと移っていけば、

満開を3週間は楽しめると思います

今から、今年は何処へ花見に出かけようかと楽しみです

 

おにぎりなど、お弁当を持って、桜の下で食べるお昼は最高です

今年も、どこかの桜の下でお弁当を食べたいと思っています

親として、一区切り

私、二人の子を持つ父親です

そして、二人目の子供が大学の卒業を迎えました

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夜中に自宅を出発し、時間までに子供を送る

最後の親の役目?を無事果たし

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数時間後、無事に卒業式を終えることができました。

と、同時に、社会人としての生活が、二日後には始まります

卒業の喜びに浸る余裕無なく、次の旅立ちに向かいます

 

慌しいことは、私にとって好都合で、寂しい気持ちに浸る暇もありません

バタバタと、次から次へと目の前のことを見守るだけです

と言いながらも、毎度のことではありますが

旅立っていく子供を見送るの時の寂しさには、いまだ慣れません

 

一人目の子供が、親元を離れ大学生活へと向かうとき

また、就職先へと旅立っていくとき

駅で、見送ったあと、一人で車を運転して家に帰る道中の寂しいこと

この時はまだ、もう一人の子供の存在もあったのですが

 

二人目の子供が、就職先へと旅立つとき

駅で見送りながら

二人の子を無事に、社会へ送り出せたという安堵感はあるものの

やはり、これで一区切りだと言う思いになりました

 

子供たちに、十分なことをしてこられたかどうか分かりません

何とか、お返しできたという思いです

 

二人の命が、私達に預けられました

この二つの命を、私達に考えられる全てで育てること

精一杯の思いで育てること

そして、旅立っていってもらうこと

お返しできたと言うのは、預かってきた子の子達を

旅立たせることができたという思いです

 

旅立たせる

自分で生きていく、ということでしょうか

社会に貢献していくと言うことでしょうか

 

この子達が、社会の中で自分の役目を果たしていくと言うこと

そのときが、来たと言うことだと思います

このときまで、なんとかやってくることができました

 

これからも、親であることに変わりはありません

子供たちが、何処に住んでいても、どんなことをしていても

いつも影ながら応援していたいと思います

 

子供たちを送り出した、私達夫婦もまた、子育て後を思って動いて来ました

やがてくるこの日のために、お互いが、新たな生きがいと言いますか

”すること” を考えてきました

私は、私なりに

妻も、妻なりに

温めてきたことに向かって、進みます

 

子供たちが、社会人として踏み出していく

子育てと言うものに一区切りを迎えた私達も、踏み出していこうと思います

 

 

 

学生最後、親子で、お出かけ 

大学生活終わりを迎える子供と、出かけてきました

場所は、愛知県犬山にある明治村

だんだん暖かくなってきた休日、のんびりと散歩です

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私自身、こちらに来るのは、いつ振りなのか

思い出すのも大変なくらい久しぶりにやってきました

 

私の記憶と言うのはいい加減なもので

こんなに広かったっけ?

こんなにも多くの建物があったっけ?

などと、記憶と実際の違いに驚きながら歩いていました

ぶらぶら歩いているだけで楽しい。と言ってくれる我が子。

そういえば、小さい頃からよく散歩に出かけたなぁ

休みの日には、公園に行くのが当たり前になっていて

広い公園の中を、よく歩いたものです

あの頃のように手をつないでということはありませんが、

今も昔も、よく歩きます。よく喋ります。

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あ!

花子とアン

この風景見たね。などと言いながら

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天気もよく、入鹿池も懐かしい感じです

ただなんとなく話をしながら、ぶらぶらするのも良いものです

おかげで、今日は、1万歩歩けました

 

最後のお出かけなので、ちょっと奮発して

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帝国ホテルで、ケーキセット

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普段ならケチって食べないだろうな、と思いますが

思い切って

 

私達夫婦に付き合って、ぶらぶら散策してくれた子供に感謝でした

 

心の時代より

NHKの番組、心の時代

毎週録画をして見たい時にゆっくりと見ています

 

その中で、最近心に響いた話の紹介です

仏師の方を取り上げた回でした

自作の仏像マンダラに囲まれて というものです

 

仏師、木彫りの仏様を作っている人です

色々な方に弟子入りし、伝統的な仏像作りもされますし

ご自分のオリジナルな仏像も作っておられました

 

その中で、師匠からの言われたことに

「木の中には、すでに仏がいる。我々は、余分なものを取って行くだけ」

と言うような話がありました

 

登場されていた仏師の方も

「木を見ながら、木に合わせて仏様を彫る

  初めかららこうしよと決きめているのではない」

と言うようなことをおっしゃいました

良い話だなと思って聞いておりました

 

仏教の教えに

全てのものに仏性がある

というものがあります

 

私自身、魂として、自然界の全てが、つながった存在であると思っています

人はみな魂があり、魂は何回もの転生をしながら生き続けている

魂は、全てを知っている

この魂は、人だけでなく動物も植物にも存在し

みな、つながっているのだと思っています

魂は、宇宙とつながっていて、我々や自然の全てを創造したものとつながっている

魂は、神や仏と言った存在にもつながっていて

全てが、仏とつながった存在と言えます

 

木も、仏性を持っていて

感じる方には、それを感じることができ

木の中から、仏様を表現することができる

 

仏像は、仏性がこもったものだと思います

だから、ひきつけられる

そして、ひきつけられた方たちの祈り、念仏が

更なる仏性を引き出しているのではないかと思います

 

また、仏師さんは、技術だけではないと言っていました

技術がなければ創れないのは当然ですが

技術だけでは、表現できないものがある

 

まさに、木の持つ仏性のことでしょう

木の持つ仏性を

その木の、本来の形で表現する

仏性が、最高に表現されることが必要なのでしょう

 

私自身にも、ささやかではあるかもしれません、仏性があるはずです

内なる仏性に気づき

その仏性を発揮できるようになることができたら

どんなに素敵かと思います

 

ただ今は、信じるのみです私の中にも仏性があり

私次第で、その仏性はどのようにでもなると

 

内に隠れたまま表に出ることがないということにならないように

仏師さんが、余分なものを削っていくように

私も余分に身につけてきてしまった

価値観、考え方、物の捉え方などを

一つ一つ、とって行きたいと思います

 

余分なものを剥がしていった先に

仏性が見えてくると信じて

 

 

 

朝の散歩中の驚き

毎朝の散歩に出かけ、いつものように桜のつぼみや

小さな草花などを見ていましたら

大量の土筆群が!

 

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1mm四方くらいの場所でしょうか

ぎっしり所狭しと生えていました

始めて見る多さです

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大量の土筆が朝日に照らされています

 

あれ、昨日までそこにいました?

でも、一日でこんなことに?

自然には驚かされるばかりです

こういう変化に富んでいるから、毎日の決まった散歩も楽しいものです

 

毎日同じ時間に出かけています

そう言えば、太陽の場所がずいぶん変わりました

高くなり、強い日差しになっています

日が長くなってきました

 

毎日チェックしている桜のつぼみも

大きくなり、色も変わってきています

最近でも、朝晩は冷えていますので、

早く春が来ないかな・・・なんて思ってしまうのですが

確実にもう春ですね

 

桜や、土筆、草花、雑草、自然界の全ては、春を感じ春仕様になっています

ある意味、こうした自然と私達人間もつながった存在です

私達人間の中にも春の変化が、きっと起きているのでしょう

つぼみが膨らみ、花が咲き、土筆が顔を出し

私達の体も、何かが始まっているような・・・

 

散歩の途中で

太陽に向かって伸びをしてみます

太陽の光を全身にたっぷりと浴びてみます

 

私の中にも何かが芽吹く

きっとそうだと感じます

 

多くの土筆、可愛い草花、膨らむつぼみ

それを見て膨らむ、わくわく感

 

確かに何かが変わってきています

寒さに耐えながら背中を丸めて歩いていた冬とは変わっています

もう背中を丸めてはいません

ジョギングしてみると汗ばむほどです

 

私の体も、春を喜んでいるようです

琵琶湖、そして初めての余呉湖

木之本地蔵様から、帰る前にちょっと寄り道を

いつもは、琵琶湖を眺めてみるのですが、

この日は、初めて余呉湖へ行ってみました

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湖周を一回りできる道がありまして、湖の景色を楽しみました

ワカサギ釣り、フナ釣りなどの場所がありました琵琶湖とは違い、小ぶりな湖ですので、すぐに一周できます

一周の中で、湖と周りの山々が見せてくれる景色が美しいです

 

ついいつもと同じルートを通りがちなのですが

たまには、変えてみるのも良いものです

 

余呉湖を離れ、琵琶湖沿いを走ります

途中の道の駅、湖北みずどりステーションで一休みしました

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写真は、道の駅の2階からです

 

こちらで休んでいますと、写真が趣味の方たちが

これからの撮影について相談されていました

このあたり、鳥を写すのも、夕日を写すのも良いようです

 

余呉湖と違い、琵琶湖は簡単に一周する事はできません

今日は、湖北にて琵琶湖を眺めましたが、

大津の辺りで見る琵琶湖など、場所によって景色はかなり違います

水の美しさも場所によって違うようですし

滋賀を訪れるときは、いろいろな琵琶湖を楽しんでおります

木之本地蔵にて

滋賀県木之本にあります、木之本地蔵院です

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まずは、こちらの建物で、お地蔵様を参拝いたします

 

続いて、裏側に回り

裏地蔵様を参拝します

裏地蔵様にお参りさせていただくとき

般若心経の中から一文字を用紙に書き、その文字と共に参拝します

 

こちらの建物の下には、戒壇めぐりがありまして

昼間でも本当に真っ暗です、壁に沿って手探りで進むしかありません

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こちらのお地蔵様、とても大きな地蔵様です

 

参拝をさせていただいた後、いつものようにお庭を拝見します

お庭を眺めながら、しばらく座ります

風の音、参拝にいらっしゃる方たちの話し声

風に揺れる木や草たち、流れくる冷たい風

過去や、未来を思うことなく、今このときだけに心をとどめようとします

目で、体で、今このときこの瞬間を感じて行きます

 

体の中が、リフレッシュされていくまで、

何も考えることなく、それでいてスッキリしてくるまで

ただ、座り続けます

普段なかなかできない贅沢な時間です

私の前には、綺麗なお庭だけです。

 

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そして、阿弥陀堂へ向かいます

こちらでも、心を落ち着けて

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境内には、まだまだ雪がありました

この日もずいぶん寒いです

しかし、この寒さも、私をリフレッシュさせてくれました

 

この日、木之本地蔵さんを訪ねたのは

ただ静かに座る時間を持ちたくて、という理由です

どこかで、静かにゆっくり座る時間を持てないかと思ったときに

まっさきに、こちらが浮かびました

 

こちらを選んだという事は、好きなのでしょう

足が向く場所、向かない場所があります

私と、それぞれの神社仏閣との相性なのでしょうか

わかりませんが、出かけたくなる場所があります

 

ただゆっくり座ることは、家でも出来そうな事なのですが

何かが違います

空気感というのでしょうか、家とは違う心持になれます

眠ってしまうこともなく、しっかり座ることができました