心も体も生き生き元気に 

日々の出来事の中から、心と体が元気になるような記事を書いていきます

死後について 

幼い頃、死んだら後のことが気になって頭から離れず

夜が怖い、暗いのが怖い、眠りにつけないなど

考え込むことがありました

こういう死についての恐怖のような感情は、

年を重ねるごとに和らいできました。

それは何故なのか?

それが、年を取ると言うことなのか

生について慣れてきたからなのか

ただ、今も、時に、考えます

 

死について、その後について誰もわからないことかもしれませんが

輪廻転生を信じる私なりの話です

 

そもそも輪廻転生するのか?

 

生まれ来る赤ちゃんは、真っ白なキャンパスのように

何の意識も考えも個性もないのか?

私には、二人の子がいます

妻のおなかにいるとき、一人目の子は、お腹の中でおとなしく

二人目の子は、お腹の中で、よく蹴り、動きまわりました

生まれてすぐの泣き声も

一人目は、優しい泣き声

二人目は、激しい泣き声

おっぱいを飲むころになっても

一人目は、のんびりゆっくり

二人目は、がっついていました

 

二人の子供が、お腹に宿ったときから生まれ出るまで

私も、妻もまったく同じだったとはいえません

しかし、この二人の赤ちゃんの行動の違いを

納得することが出来ません

 

この違いが、お腹に宿りし時から、すでに何かを持っている

と考えますと、納得できることが多いのです

では、何を持って宿ったのか

私には、過去生での業だと思えるのです

 

今回の生を受ける前

いつの時代か、何処なのか分かりませんが

過去に生を受けていて、

その中で、何かをし、何かが起こり

その経験 すなわち 業 をつんだ

それが、今回の生で、始めからもった 業 となるのだと

 

こう考えますと

体でもなく、心でもなく、魂・霊性というものが存在し

この魂・霊性は、ずっとつながっているとおもえるのです

魂・霊性の部分は、命そのものです

過去生の中で積んだ業を持ち

今生を生きる役割を持ち、

今生を終えたときには、次の生へと移る

 

私が今、私そのものだと思っている私は、

生まれてから今までで、作り上げた私でしかない

本当の私なのかどうか分からないとも思うのです

本当の私は、もっと奥深くにあり、実はまだ私にも

見つけられてはいないかもしれません。

 

それでもきっと、私の魂・霊性は、この体がなくなった後も

次の生を、受けるのだと思います

つながり続けるのです

 

つながり続けるからこそ、この生は、大切です

もし、過去生からずっ今回の生でも同じことを繰り返しているのなら

また、次の生でも同じことを繰り返すのではないかと思うのです

過去の業を持って次の生を迎えるのなら

精一杯、今生を生きることが大切に思えます

死ぬことは、怖いのですが

次の生へ、必要なことと思うようになりました

一人死に行くのでしょうが、また、

次の生を受けるときには、親がいます

大丈夫そうです