心も体も生き生き元気に 

日々の出来事の中から、心と体が元気になるような記事を書いていきます

自分を省みる、自分を貫く

人は生まれながらに、それぞれに違うものを持っているのだと思います

育っていく間には、当然、親が関わっているし、兄弟がいればその関わりもあり

やがて、自分を取り巻く世界は少しずつ広くなり

学校関係、友人関係と色々な影響を受けたり与えたりして行きます

思春期を過ぎ、自分というものを持つようになるとき

自分の価値観、感じ方、物の捉え方が出来ていくのだと思います

 

その価値観、感じ方、物事の捉え方は、偏ってはいないだろうか?

自分とは、価値観が合わない、捉え方が違う、感じ方が理解できない

などのよに、他の人と自分が合う合わないというようなことが出てきたとき

偏ったものの見方で、判断していないだろうか

私は正しい、あの人が・・・・、ほかの人達が・・・・・

自分の世界で考えてしまうこと

 

人は、それぞれ違うものを持って生まれ

違う環境に育ち、違う自分を形成していくということ

もしかしたら、と自分を省みることも必要かもしれないし

いろいろな価値観、考え方、捉え方があるということを理解する

必要があるかもしれない。

 

久しぶりに息子と二人きりの時間を過ごし

次の日、久しぶりに娘と二人きりの時間を過ごし

たまたま話題がでて、今書いてきた様なことを話し合いました

息子は、就職して2年目、娘は就職が決まった大学4年

二人共に幼少からテニスをし全国大会を経験し

今も、競技を続けています

テニスの試合では、自分のプレイに撤しようとします

練習してきたものを出し切らねばなりません

就職活動では、自分を売り込みます

そういったことからすると

自分を貫いていくことになります

 

一方、自分の価値観や、考え方、捉え方だけでは、人や会社の方針と、

合わないことも出てきますし、転職を考える人も出てきます

私にあった場所があると、転職していく人もいるでしょう

 

常に、自分は間違っているかもしれないなどと思っていては、いけないでしょう

常に、自分が正しいのだから、これでいいのだと思っているのも、いけないでしょう

やってみる、自分を出してみる

しかし、それは、自分の世界で考えた自分、偏りがあるかもしれない

他の人の言葉も受け入れる、組織のことも受け入れる

本当に正しいことは、前に進むものだと思います

人にも、組織にも受け入れられていくでしょう

しかし、自分が考え行動したことが間違っているのなら

受け入れられないでしょうし、前に進んでいかないと思います

間違ったら、やり直す、考え直してみることも必要

 

私は偏っていて、間違ったことを言っている。人と違う

などと、消極的になっては、つまらないと思います

自分を信じて、思い切って見ることは必要です

ただ、まわりを受け入れる寛容さ、

自分を省みてみる冷静さというか、もう一人の自分が見張っているような

所は必要なのではないでしょうか