目を開けていれば、色々なことが見えます。当然のことです
目の前にあるもの、すべてを見ているでしょうか
見ているつもりだけれど、見えていない物
見ているつもりはないのに、見えている物があります
また、正確に見ているでしょうか
先日、ある山でのこと
トイレに入りました。ドアを開けトイレの中へ進み
ふと、蜂の存在に気づきました。大きなスズメバチです
その蜂は、私がドアを開けた時には、すでにそこにいたはずです
見えていなかっただけです
見えていないので、何事もなくトイレの中に進みます
蜂の存在が見えた時から、もう気になって仕方がありません
私の頭の中は、蜂で一杯です
同じような経験をされた方も多いと思います
例えが適切であったかどうか分かりませんが、
見ているつもりでも見えていないものがあるということ。
また、”見るということ”その意味
何事もなく、トイレの中に進み、気づかなければ何事もなくトイレを出たでしょう
それが、蜂を見たというだけで、どれだけ動揺し、恐怖を感じることか
ただ、見たというだけなのに。
ただそこにあるものについて、
怖いものだ、危ない。刺されたらどうしようなど、さまざまなことを足しています
見たものを、あるがままに見る
しかし、そうではなく
見たものに、心、感情、価値観などのフィルターを通して見ているのです
それは、時に自分を苦しめることにもなります
見たものは、見たまに、そこにあるというだけです。そこに居ると言うだけです
心の作用が、大きければ大きいほど、心が疲れてしまいます
続きは、また後日