心も体も生き生き元気に 

日々の出来事の中から、心と体が元気になるような記事を書いていきます

心を楽に 自分が見ていることを疑ってみる

愛知県稲沢市気功師 りゅうおうです

 

目を開けていれば、色々なことが見えます。当然のことです

目の前にあるもの、すべてを見ているでしょうか

見ているつもりだけれど、見えていない物

見ているつもりはないのに、見えている物があります

また、正確に見ているでしょうか

 

先日、ある山でのこと

トイレに入りました。ドアを開けトイレの中へ進み

ふと、蜂の存在に気づきました。大きなスズメバチです

その蜂は、私がドアを開けた時には、すでにそこにいたはずです

見えていなかっただけです

見えていないので、何事もなくトイレの中に進みます

蜂の存在が見えた時から、もう気になって仕方がありません

私の頭の中は、蜂で一杯です

同じような経験をされた方も多いと思います

 

例えが適切であったかどうか分かりませんが、

見ているつもりでも見えていないものがあるということ。

また、”見るということ”その意味

何事もなく、トイレの中に進み、気づかなければ何事もなくトイレを出たでしょう

それが、蜂を見たというだけで、どれだけ動揺し、恐怖を感じることか

ただ、見たというだけなのに。

ただそこにあるものについて、

怖いものだ、危ない。刺されたらどうしようなど、さまざまなことを足しています

 

見たものを、あるがままに見る

しかし、そうではなく

見たものに、心、感情、価値観などのフィルターを通して見ているのです

それは、時に自分を苦しめることにもなります

見たものは、見たまに、そこにあるというだけです。そこに居ると言うだけです

心の作用が、大きければ大きいほど、心が疲れてしまいます

続きは、また後日