心も体も生き生き元気に 

日々の出来事の中から、心と体が元気になるような記事を書いていきます

人の持つ二面性 だから私は神社仏閣が好きなのかも

もう一人の自分、内なる自分、自分の知らない自分・・・

色々な言葉で表現される人の持つ二面性

事件などの報道を見聞きすると

残虐な面と、そうでない一面に驚くこともあります

 

私自身も、自分の中に別な自分の感情を感じることもあります

 

何かしら、今日は気分が乗らない

今日は気分が良い

そんな些細なことも、二面性といえるのかもしれません

 

出先で、小さな子供、赤ちゃん、子犬や、子猫を見るとき

目じりが下がり、微笑みかけている自分がいます

そのとき、表情だけでなく、自分の内面・心の部分にも変化があります

やさしい気持ちになります

先ほどまでの感情とは無関係に、やさしく微笑んでいます

これなども、二面性なのかもしれません

 

ゆっくり自分を振り返ってみると

なにかしら自分の中の違う部分に気付きます

時には、小さな子供や赤ちゃんを見たときのような感情に包まれている自分

また、時には、いらいらしたり、気分を悪くして、しかめっ面の自分

 

ああ、だから私は、神社や仏閣が好きなのかもしれない

自分自身あまり意識としてはないのだけれど

いらいらしたり、しかめっ面になってしまっている自分を感じて

足が、神社仏閣へと向かうのかもしれない

そこで、やさしい感情に包まれようとしていたのかもしれません

 

日々の暮らしの中では、どうしても一定の気持ち・心を保てなくなって

神様、仏様、に会いに行くのかもしれません

神社、仏閣の場の雰囲気、流れている空気感

森、植物、自然を求めるのかもしれません

 

神社、仏閣に行った後、なんとなく自分が変わる感じ

それは、自分の中の優しい部分を取り戻すからかもしれません

心が開放されるのかもしれません

開放された状態、無に近い状態は

他のものと、とてもつながりやすくなっています

だからこそ、神の声が聞こえたり、何かを気付いたり

出会う人、見たもの、聞こえたものから、メッセージを受け取るのかもしれません

また、休みの日には、どこかの神社仏閣へ出かけてみようか

などと思ったりします。

 

考えようによっては

神社仏閣に行って、自分の中の一面に戻る

小さな子供や、赤ちゃんを見て、自分の中の一面に戻る

どちらも同じ作用があるのかもしれません

小さな子供・赤ちゃん、時には動物の中に

神や、仏を見ているのかも

神社仏閣に

小さな子や、赤ちゃんのような純粋さを見るのかもしれません

 

やさしい気持ちで、今日も暮らしたいと思います

気功で、陶芸で、優しい気を送るように

やさしい気持ちがつながるように。