心も体も生き生き元気に 

日々の出来事の中から、心と体が元気になるような記事を書いていきます

私がお寺でいただくもの

神社仏閣を訪ねることの多い私です

神社とお寺、どちらも参拝に伺うのですが少し違いがあります。

 

神社では、

無事に過ごしてこれた感謝

見守り導いていただいていることへの感謝

これからも生きて行く気持ちの確認と決意

引き続き見守り、お導きいただきますように。という思いを伝えます

 

お寺では、

無事に過ごしてこれた感謝

見守り導いていただいていることへの感謝

は同じですが、

 

仏像を眺めながら、その奥に自分の姿を見るようにします。

仏像に見つめられ、さらされていく自分の内面と向かい合うと言った方が

適当かもしれません。

自分を内観する。反省する時間を持ちます。

 

参拝を終えた時には

神社では、

また一歩踏み出す私の背中を押していただくように感じます

背中を押され、また生きて行こうと決意が持てます

 

お寺では、

自分を省みて反省すべきは反省し、改めるべきを改めようと思います

自分がリフレッシュされ、新たな気持ちが持てます

 

長きにわたり神社仏閣の参拝をしているうちに

お話をさせていただけることも多くなりました。

特に、お寺で僧侶とお話しさせていただく機会が多くあります

 

仏様は本当によく観察され、よくおわかりのようで

今の私に必要なことを、僧侶の言葉を通じて伝えてきてくださいます

気づき、学びが多くあります。

会話を交わしているときには、何気なく過ぎていくような中にも

後から思い出してみますと、学びが多くあります

 

内観し、自分を反省するだけでなく

自分に足りないことに気づかされ

一歩先へ進むために必要な学びが与えられ

私のお寺参りは、自分を内省するだけでなく、次のステップに向かっています

 

私がお寺でいただくもの

お寺という場所の持つ雰囲気、時間の流れ、リラックス

反省から生まれる気づき、次に何をしたら良いのか学び

僧侶から伝えていただくもの

 

僧侶は、仏法を語るだけではありません

時には、仏教の話をしただろうかと思う時もあります

笑い話で終わることもあります

 

ただ、そのすべてが、その時の私に必要なのです

笑い話に終始した時は、

きっと私の顔はこわばっていたのでしょう

私の心は固くなっていたのでしょう

 

仏教の話をしただろうか、世間話に終始した時は

リラックスが必要だったのでしょう

世間話の中に大切な学びがあるのです

 

私にとってのお寺は多くのものをいただく場所です

多くのお布施をいただいています

ありがたいです